「とべない獅子と眠れる鳥と」後日談

グラキス2で発行した「とべない獅子と眠れる鳥と」の後日談です。

近日中にと言いながら一ヶ月以上経ってしまいました…。

本を読んでないとさっぱりわからない内容になっています。

 

「あんた、バニーって呼ばれてんの?」
肩の荷、もとい、ヒーロースーツのパーツを外し、ほっと息をついたところで声をかけられる。金色の羽を降ろして人間の形に戻ったライアンがいた。薄い唇の端がおかしそうにゆがんでいる。トランスポーターに僕と彼がいることの違和感に知らず眉が寄った。眼鏡を取った視界ではものごとをクリアに受け入れられない。
アメジストタワーの倒壊を防ぎ、市民の救助と誘導を終えた頃には日付が変わっていた。あの新生コンビお披露目から数時間が経ち、僕は衝撃から立ち直りつつあったが、それでも「なぜ」と問いたい気持ちをもてあましている。オーナーに、ライアンに、虎徹さんに、子供のようにいくつもの「なぜ」を振りまわしたい。
「あなたこそ、へんな呼び方しないでください」
つい声に棘が含まれるのを抑えられず、自己嫌悪にうなだれた。まともにライアンと視線をあわせられない。
「ジュニア君、って? つーか、そのしゃべり方、何なんだよ」
ゴールデンライアンとしてバーナビー・ブルックスJr.の前に現れて初めて、ライアンはまとっていたヒーローの顔の下から素顔をのぞかせた。僕のよく知るライアン・ゴールドスミスだ。
「なあ、ジュニア」
足元が揺らぐ。時間が巻き戻るような気がした。シュテルンビルトのバーナビーでいる今の自分と、かつて彼にだけそう呼ばれていた『ジュニア』と。どちらも確かに僕自身に違いないのに、別の人間のように僕の中で独立している。
以前と態度が変わらない彼に対し、僕ばかりが構えていたのがばかばかしくなる。短くはない時間を共に過ごした気安さと、彼に見せていた顔とは違う自分を見られた気まずさが込みあげる。
「いつから知ってたんですか」
「何が」
「僕と組むことを。それから、……僕がバーナビーだと」
「んなもん最初からわかったっつーの」
「最初?」
「あんた、もしかして一緒に住んでる間もずっとバーナビーだと気づかれてないと思ってたわけ?」
呆れたような言い草に、僕は戸惑う。
「だって、ずっとジュニアって呼んでたじゃないか」
「捨てようとしてた名前で呼ぶほど俺は意地悪くねえよ」
ああ、そうだ。そうだった。
「……知ってる」
ライアンはとても繊細に他人に接する。自分の触れられたくない箇所を守るのと同じように、人に対してもその距離に慎重な人だ。
「好きな子にはやさしくしたいって、あんたが言ったんだろ」
「うん」
素直にうなずく。ライアンと暮らした時間の僕に、「ジュニア」に戻る。何者でもなかった時間、人生において二度とないだろう、バーナビーではなかった時間だ。
「……ごめん。ずっと黙ってて」
「別に、言われなくても分かってたから同じだって」
僕は首を振って否定する。
「黙っててくれてありがとう」
「バーナビー」ではない時間は僕にとって必要なものだった。あの時ライアンに隠し事を暴かれていたら、僕はライアンのそばにはいられなかっただろう。ライアンのやさしさに僕は救われていた。
「あれから、どうしてた?」
聞きたいことが山ほどある。僕があの街から出てからのこと。ライアンがシュテルンビルトに来るまでのこと。
「俺のことより、あんたは話したいこと、ないの?」
口調は軽いまま、口元はからかうように引き上げて、まなざしはいたわるようにあたたかい。
ライアンのやさしさは、自分を守るためなのかもしれない。自分の中に踏み込ませないための。はぐらかす彼をなつかしく思う。僕はやっと、夢のように過ごした過去が現在の自分に引き寄せた手応えを感じていた。
「あれがコテツだったんだろ。あのアライグマ」
「ええ。……まさかライアンが虎徹さんの代わりに来るとは思わなかった」
「あんたはどうしたいの。ヒーローやりたいから復帰したんだろ。コテツがいないとダメなの」
「いいえ。……いいえ」
力強く否定する。
「もう遅いけど、少しつきあって」
翌朝のことを考えるとこのまま帰って休んだ方がいいに決まっているけれど、僕はライアンの返事も聞かずに斎藤さんにダブルチェイサーの使用許可を取った。
「聞いてほしいことがたくさんあるんだ」
僕たちはあの頃のままじゃない、ここから新たに始めなければいけないのだ。コンビとして。

 

不夜城を背にしてシュテルンビルト郊外へチェイサーを走らせる。ヒーロースーツを脱いだ僕の身体から、春先の夜風は容赦なく体温を奪う。きっちりジャケットのジッパーをあげて風を防いでいる僕と違って、サイドカーに乗るライアンはさすがに寒そうだ。
「どこ行くんだよ!」
ライアンの張り上げる声が風に吹き散らされて断片だけが僕に届く。
「もうちょっとだから!」
「ああ!? よく聞こえねーよ!」
チェイサーは静けさをつらぬいて走る。遠ざかる街明かりを横目に、僕は再びシュテルンビルトに戻ってきた日のことを思い出していた。
喧騒から離れた丘の中腹でチェイサーを停める。シュテルンビルトの夜景を見下ろす位置に孤児院は建っていた。
「ここに、イレーネたちがいるんだ」
ライアンが黙ってすでに灯りの消えた孤児院を見上げた。
「一人は親が見つかったから送っていった。イレーネと、姉弟は身寄りがなくて」
屋敷から連れ出した子どもたちをシュテルンビルトに連れてくるのにかかった時間と手間は並大抵のものではなかった。なぜあなたがそこまでするのか、と人にも何度も尋ねられたが、僕はそのたびに返した。「ヒーローに頼まれたからです」と。消えかけていた僕の使命感に火をつけた他ならぬライアンの頼み事だったからだ。
「船の持ち主が本島までのルートを記していてくれたから、とにかく何も考えずにそれに従って、そのあとは河を遡上して燃料が尽きる手前で船を下りた。途方に暮れたよ。パスポートも何もないし、現金もカードもないしね。でもバーナビー・ブルックスJr.だって街の人に明かしたら、いろんな人が協力してくれた」
子供を四人も連れた身分証のない男を信用してもらえたのは、ひとえに僕がヒーローだったからだ。
「みんなが僕の顔を見て、ヒーローにならって協力してくれたんだ。人の信頼の上に立っていることがどれだけ得難い幸福か、やっとわかった」
僕は初めて、ヒーローであることに感謝した。それを自ら捨てようとしていた自分を恥じた。
「名乗ったら旅が終わるんだと思ってたけど、違った」
行き先のない旅に目的ができた。だから僕はシュテルンビルトに帰ってきたのだ。
「……元気にしてんの、あいつら」
「言葉が違うから、なかなかなじめなかったみたいだけど。でも、シスターも気にかけてくれてるし、ここのみんなはいい子たちだからね。今は落ち着いてる」
「そっか」
ため息を吐き出して、ライアンは右の手のひらを見つめた。握って、開いて、おそらくはその手の中に小さなイレーネの手を思い出して。
「助けてくれて、ありがとな」
うつむいて、丸まった首のラインにふとあの頃の彼を思い出す。窓辺に腰掛けて、ライアンはよく自分の無力にうなだれていた。腹の中にどろどろと苛立ちを抱えて、叫ぶ相手もいなくて、ただ壊れかけた倉庫の二階で己を持て余していた。
「俺は何もしてやれなかったよ。あんたがいてくれてよかった」
こぼれた弱音。僕はライアンの右手を取った。大きな手のひら、大きな背中。
「僕がまたヒーローに戻ろうと思ったのは、きみを見ていたからだ」
手のひらを重ねる。夜風にさらされてもなお、ライアンの手は温かかった。
「ヒーローが誰かの希望になるんだってきみが教えてくれたから」
ライアンがあの街で起こした風は、きっと今も人々の心に吹いている。易きに流れることが良しとされていた街の中で、すっくと立っていたヒーローの姿は、闇の夜にたゆたう不安を打ち破る灯台の光になったはずだ。
「きみに頼ってもらえて、嬉しかった」
隣に並んだ僕の左手ではライアンの右手は余ってしまう。向い合って両手で包んだ。彼は知らないのだろう。名前も過去も、何も持たない僕を認めてくれたことで、僕がまた飛べるようになったことを。
「誰かの役に立つことで、僕は生きていられる」
ふ、とライアンが笑った。左手で僕の首を抱き寄せる。
「ヒーローじゃなくなったら、どうすんの。金もなくて老けて誰からも見向きもされなくなったら、あんたは」
「どうしようかな。何も考えてなかった」
「別に俺はあんたがヒーローじゃなくても、慈善家じゃなくても関係ないけど?」
面白がるような声が僕の耳をくすぐる。調子が戻ったらしい。
「それなら、引退したらライアンのところへ行こうかな」
「あんたしぶとく残ってそうだよな」
「もちろん、そのつもりだけど」
くっつけた胸と胸の間で笑い声がこもって響く。ジャケットの生地がこすれてきゅうきゅう鳴った。
「で、現役の間は?」
「え?」
「俺が相棒でいいの?」
口ごもる僕の肩をつかんで引き離す。
「あんたのプランに俺は入ってなかったんだろ?」
僕が子供みたいにオーナーに食って掛かったことを「駄々をこねている」と指摘した時と同じ顔で、ライアンは僕から手を離した。
「……虎徹さん以外と組むことはまったく考えてなかった。正直戸惑ってるし、きみとこんな形で再会するとは思ってなかったから」
「別にかまわねえよ。ただ、相手が俺であれ誰か別の奴であれ、あんたは飲み込むべきだ。それがここのヒーローの在り方なんだろ」
「ええ……」
去り際、僕を振り返らなかった虎徹さんの背中がよみがえる。刺されたように心臓が痛む。何度経験しても拒絶の痛みには慣れない。けれど、あの人が振り返らないなら、僕が立ち止まって待っていることに何の意味もないのだ。
「しっかりしろよ、ヒーロー」
ばん、と背中を強く叩かれた。地面に衝く、力強い手で。
「また連れてきてくれよ。今度は昼間、あいつらが起きてる時にさ」
ぐいと立てた親指で孤児院を指す。うなずく僕の頭をひと撫でして、ライアンはさっさと一人でチェイサーに乗り込んだ。
「な、腹減らねえ? どっか連れってってよ」
「今から?」
「どっかあるだろ、スーパーヒーロー、バーナビー様の顔効くところがさ」
「……仕方ないな」
僕もチェイサーにまたがって、見慣れた左側にまだ慣れない存在を見やる。立ち止まる僕を動かしてくれるのはかつてと同じようにライアンなのかもしれない。
「何?」
「ライアンで、良かったのかもしれないと思って」
「……そう簡単に言うなっつの」
ふんぞり返っていたライアンが嫌そうに手を振った。
「あんたって、一度なついた相手にはゆるゆるなんだな」
「失礼だな」
「ホントのことだろ」
むっとして、声もかけずに発車させた。反動でライアンがシートに沈み込む。
「あっぶねえだろ! おい、なんか言えよ!」
「聞こえない!」
「嘘つけ!」
わめく声は無視した。ちらりと左側に視線を向けると、なにごとか毒づきながら笑うライアンとその先に眩しい街明かりが迫っていた。
また夜のシュテルンビルトに向かって走り出す。僕が守ると決めた場所だ。虎徹さんはもう眠っているだろうか。
夜明けはまだ先。ただ一人ではないことが救いだった。